<林檎畑>

「人の不幸の上に自分の幸福を築いてはいけない。」と、母が言った。

                ♡

弘前城

 桜前線が北上してきて、弘前城公園内が〈観桜会〉を楽しむ人々で溢れかえった。 

 追手門付近でバナナのたたき売り、本丸で酒盛り、本丸下から亀甲門へ通じる公園内はお祭りに欠かせない露天商はもとより、サーカス小屋、お化け屋敷が立ち並び、花見そっちのけの賑わいをみせた。

 一家総出で繰り出し、浮かれ騒ぐ〈観桜会〉は、繁忙期前の農家、石岡家の欠かせない行楽行事であった。

 桜の花びらが散り、葉桜になれば今度は、薄紅色の蕾が開いて、りんご畑一面白い花びらで埋め尽くされると、可憐な花を愛でている暇などなく、花摘み、受粉、摘果。袋掛けと人の手を必要とする仕事が待っていた。 更には、田植えシーズンも重なり、猫の手を借りても足りないほどに忙しくなるのだ。

 桜前線の北上便りに望郷の念にかられるのは、幼い頃のこうした〈観桜会〉の情景が鮮烈な思い出になっているからだろうか―。

りんごの花

〈林檎畑〉

 卒業式が近づく頃には友達関係は一変していた。

 進学組も就職組も進路が定まっていて、新しい期待に胸を膨らませているようだったが、何も決まっていない者の表情は暗く、精彩を欠いて見えた。

 恵子の場合、娘の自立を願うよりも良縁に恵まれるまで親元に置いておきたい両親の本音に従い、家事手伝いの境遇に甘んじた、何も決まっていない者に属した。

 家族が寝入った夜更け、雪明かりの下で受験勉強に励んでいた頃が遥か遠い幻で、夢の中の出来事になった。高校進学を諦め、看護婦になる夢も消えた。

――彼女が中学校を卒業する頃の高校進学率は、戦後間もない二十年代よりはるかに伸びたとはいえ、五十パーセントにも満たなかった。地方においては、高校進学する人は限られたほんの一握りの生徒に過ぎなかった。その一握りの生徒の中に六歳年上の叔父、ケンイチがいた。兄のような存在だった彼は義務教育を終了した者が高度成長期の担い手として望まれた時代の中、働きながら、自力で高校を卒業した。裕福な家の子にあらずとも、強い向学心と固い意志さえあれば進学でき、看護婦になれるのだ、と彼女は信じていた――。

 雪解けが始まる弘前の三月は、桜の花の蕾は固く、りんごの花の開花は二か月ほど先のことで、林檎畑はまだ雪に覆われていた。

 雪解け道は滑り易く、歩き難かった。油断すると転びそうになる。恵子は数歩先をゆっくりと慎重に歩いていく女性の背中に親しみを覚えるも、声をかけそびれていた。とっさに、走り寄った。そして、バランスを崩して転びそうになった女性を抱き抱えていた。

 恵子とフミエの二人が並んで歩くのは久しぶりだった。いつの間にか互いの間に距離ができていたが、やりどころのなかった恵子の気持ちが次第に落ち着いてきていた。

 フミエが遠慮がちに口を開いた。が、問いは単刀直入だった。

「受験しないって、本当なの?」

「ん!」

「なして?」

「なしても・・・・・・」

「看護婦になるの、やめたの?」

「ん!」

 フミエが恵子の前に立ちはだかった。どうしても理由を知りたいようだ。

「なして?」

「なしても・・・・・・」

 唇を固く結んで、視線をそらした恵子の肩が微かに震えた。

「なして? なして、何も答えてくれないの!?」

(二人は小学校からの同級生で、親友だと思っているのに、悩みを打ち明けてくれないなんて―。どうしてなの?)と、フミエは言葉にならない思いを心の中で恵子にぶつけた。

 恵子はフミエに背を向けたまま無言で歩いていく。フミエとの距離はどんどん離れていった。置き去りにされたフミエは不意に押し寄せてきた哀しさに戸惑って、涙をこぼした。

「フミエ、来て! これを観て!」

 恵子が大声で叫んだ。フミエを呼び、手招きをしている。

 フミエは道端にしゃがみ込む恵子の傍らに駆け寄った。そして、春の兆しを感じていた。

 雪が残る畑の黒い土の中から葱の葉先が顔をしている。粉雪の舞う、柔らかな陽の光の中で生命力を誇示しているかのような、鮮やかな緑色が眩しい。

「すごくない、この葱? 生き生きしているでしょう?」

「そうね」

「だよね! この葱はエライ!! ほんと、逞しいわぁ!」

 雪の中はいわば、保冷庫の役目を担っていることは、雪国育ちの二人には常識、殊更に驚くべきことではない。が、たかが葱、されど葱。雪の中、土に埋もれる緑色の葱が二人の心のもやもやを解いてくれたようだった。

 嫁入りのための習い事は受け入れられ、高等教育不要論は女子に対する偏見だと思うも、時代の風潮に抗うのは難しいことだった。

 花嫁修業のための習い事はフミエ自身の選択だった。フミエは就職してみたい願望を内に秘めていたとして、誰かに聞いてもらいたいほどのこではないと黙していたけれども、恵子になら本音を語ろう、と思った。

 恵子は看護婦への道の険しさを説かれたが、実際は経済的負担の大きさの前に何が何でも、という強い意思を押し通すことが出来なかったのである。

 恵子は大きく伸び上がるようにして深呼吸した。いつまでもわが身の不遇を嘆き、萎れている暇はなかった。 

 中学校を卒業した彼女は一人前の働き手とみなされた。母の実家の手伝にとどまらず、あちらこちらの農家から頼りにされた。

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