<親族>*2

♡我が子と孫の可愛さは異なるもの。

ヒペリカム

〈恵子とツセ〉

 茅葺屋根の農家の家は私達姉妹、兄弟が六年間通った小学校への道程の中間に位置していた。

〈最速ルート車で八分〉とは祖父からの贈り物、当時、私たち家族が住む大原の家から小学校までの距離のこと。グーグルマップによれば、清水三丁目(大原)から小沢運動広場(小学校)まで三、ニキロメートル、徒歩三十八分とある。この距離はあくまで大人のための指標である。小学生の子供が毎日通学するのは難儀な距離だ。

 新しい家は母の実家にも田畑にも近い。繁華街に歩いて行けた。中学生になれば、始業のベルが鳴るのを聴いてから走ればいい、と思うほど近くに学校があった。

 六年生の恵子は新入生の従妹、ユキコと私を、そして隣近所の子供ら大勢いを引き連れて通学した。新入生が次第に学校生活に馴染んで来ても、この地域の上級生は下級生の面倒を見ながら集団登校した。この光景はすっかりパターン化した。激しい風雨の中、手足が凍えるような雪ふぶく寒さの中でさえ――。

 短い夏休みが終わった。 

 空が高く感じられる季節になった。入道雲に代わって、いわし雲が浮かび、雲一つない秋晴れの空が広がる日が多くなった。

「待ちなさい!」

 同級生のフミエが叫んだ。彼女の忠告など耳に入らぬと言わんばかりに、男子たちは隊列を離れて、先を競って走っていく。

 恵子は彼らを追いかけたい衝動に駆られた。かけっこなら男子に負ける気がしない。だが、母の実家から一人で通学していたときのようにはいかない。高学年、引率者であった。辛うじて思いとどまる。そして、小さく呟いた。

「ああ、早く中学生になりたい!」 

 本音だった。下級生の世話、祖母の手伝いから解放され、自由になれると思えた。

「よし!」

 一年生男子、カオルが言った。 

 決心したようだ。競って走って行った彼等に付いて行きたくてうずうずしていた。彼と同じ一年生、幸子と手をつないで登校するカオルは固く握られていた彼女の手を振りほどけずにいた。 

 だが、ついに、走った。

「カオル! だめ! 待ちなさい!」

 カオルの姉、アツコもまた叫びながら、全速力で走る弟を追った。

 鬱蒼とした松林を抜けると<ケガジ坂>の上に立つ。 

ケカジ坂

――すり鉢状の坂の底辺は道の片側に田んぼが広がり、もう一方には川が流れていた。市の中心部まで続く土淵川だ。現在、川は埋め立てられてしまって跡形もないが、そこに橋があったことを物語る〈豊年橋の石碑〉は今もなお、残っている――。

 恵子は坂の上から底辺を見下ろした。と、豊年橋の石碑の辺りに二人の背中がみえた。さらに、上り坂の上腹部に視線を転じると、坂の際に植わっている大きな樹の根元に群がっている男子らの姿が見えた。

 急斜面の土手に大きな木があった。栗の木だ。風に吹かれてざわざわ揺れている。土手の真下が川だ。川遊びが好きな子供たちだが、深くて幅の広いここの川は危険だと感じていて、遊ぶものはいない。足を滑らせれば川に転落する。それでも、子供達にはこの一本の栗の木は〈魅惑的な存在〉だったようだ。

 木の根元の周りが踏み固められ、平らになっていて安全なこと、強風が吹き荒れたあくる日は、揺さぶられ、叩き落されたイガ栗がそこら中に転がっていることを知っていた。

 自然の熟成には少し時期が早い、青い毬(いが)は実を取り出せない物がほとんどである。茶褐色の毬であれば実が熟している確率が高い。

 彼らは毬を足で踏み押さえ、木っ端切れで割り開き、栗の実を取り出す作業に夢中だった。鋭いイガの痛さを物ともしないで、血の滲む指を口にくわえて止血しつつ、渋皮を歯で噛みはがし、生の実を食べた。かじるとほのかな甘味が口に広がる。指の痛みなど吹っ飛んでしまう幸せを味わっていた。 

 誰もが経験していた。不安気かつ羨まし気なまなざしで彼らを見守っている。 

 その背中に、フミエが号令をかけた。

「遅刻するよ! みんな、並んで!」

 栗拾いに夢中な彼らに、誰が何と言おうが、届く訳がなかった。

「こらっ、悪ガキども! 遅刻したら、あんた達の所為だからね!!」

 恵子がヒステリックに叫んだ。無駄だった。

 細い腕をしかと摑まれ、しおれたカオルは列に戻された。姉の強い制止の力のまえにカオルの冒険心はあえなく断たれたようだ。カオルはきまりわるそうに、幸子に手を差し伸べた。

 程なくして、列のしんがりを受け持った恵子の前に、栗の実を両手でかかえ、ポケットを膨らませて、彼らが駆け込んできた。

 二歳年下のカネオ、アキオ、ヤスヒロの三人はいつもつるんでいた。行動を共にする悪ガキ仲間を気取っている風に見えるけれど、ときには頼もしい存在であり、憎めない男子たちであった。 

 彼らは皆に栗の実を配ったのだ。得意満面な顔で―。

「学校帰りに寄ろう!」

 恵子はそう思った。

 今にも弾けそうにたわわに実った茶褐色のイガ栗をちらりと一瞥すると、後ろ髪を惹かれる思いを断つようにして、坂を上った。

――年月が経過し、帰省した折のこと。 

 思い出の名残〈栗の木の切り株〉が消滅していた。 

 豪雨による氾濫を繰り返し、宅地開発された住宅地や市の中心地に大きな被害をもたらした、久渡寺山を水源とする土淵川は埋め立てられて、高校グランドになった。

 向かい合う坂の上、祠の傍らに庚申の文字が刻まれた立派な石碑を目にした。二つの石碑に架けられていた縄は祈願を意味していると思えた。その側に植えられているのは、紛れもない、栗の木だ。それはまるで、懐かしい記憶が鎮座するかのように、そこに存在していた――。

*登場人物名&キャラクターは全て創作によるものです。

桔梗

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