♡ 出会いと別れが天の采配とするなら何ゆえに抗うとするのだろう。
<旅立ち>
汽車のベルが鳴った。父はまだ車内だ。母はデッキに立つ恵子に、何やら懸命に話しかけていた。恵子はうつ向いたまま小さく頷くも、真一文字に閉じられた唇から言葉は出てこないようだ。溢れ出る涙を手のひらと甲で拭う母の仕草を横目に、私はいつまでもホームに降りてこない父を案じた。
父は列車の扉がまさに閉じられる寸前に飛び降りた。
ボーーーッ! 汽笛が鳴いた。ガタッン、ガタッンと車輪が動き出した。もくもくと黒煙をたなびかせて、汽車は上野駅へ向かって走り出した。
憮然とした表情を浮かべて父は母と私を置き去りに、駅舎を出て行ってしまった。思いもしない父の行動に驚いた私は母の袖を引っ張った。が、母は汽車の後部がみえなくなるまで、ホームに立ちつくしていた。
仏のように柔和な父が鬼のようになった。と言えば、なにを大げさなと嘲笑われるだろうが、これまで私は父の怒った顔をみたことがなかった。少し目じりが下がった丸顔。お人好しな人柄が人相に現れているような父の顔が変化した。
この日の父の形相の謎を理解できるには、私はあまりにも幼かった。
駅舎を出た母と私は駅前の食堂に入った。そこで食した支那そば(ラーメン)は格別だった。しょうゆ味スープに細いちぢれ麺。渦巻きナルト以外のトッピングが支那竹、のり、チャーシュー、はたまた刻みネギだったのか思い出せない。が、ガラガラと引き戸を開けて入った店内はおしゃれに程遠いテーブルが数席。真正面奥の調理場から乳白色の湯気が立ち、麺を湯切りする音に食欲をそそられ、わくわくした。
美味しかった食べ物の記憶は思い出せても、この時の情景を作文に綴ったにも拘らず、その内容に関しては哀しいほど覚えていない。
小学六年生だった私は担任の先生の自転車の荷台に乗せられ、ラジオ放送局の社屋に連れていかれた。
稲刈りの終えた田んぼの真ん中に建物があったことや着ていたコートの詳細を記憶している自分に苦笑する。初秋の陽射しにきらきら輝く、玉虫色のコートが借り物だったとはつゆ知らず、真新しいコートに小躍りした。
ガラス張りの部屋の中でマイクの前に座らせられ、作文の朗読をしたことよりも、朗読する前に口にしたホットミルクの美味しさに感激したことを覚えているのだから、可笑しい。心に残るインパクトは大きいほど記憶されるのかもしれない。
母が大事に保管してくれていたはずの作文は、兄が捨ててしまったらしい。心ない事後報告された当初は腹をたて、嘆きもしたが、綴った本人が内容を忘れてしまっているのだからどうすることもできない。
これを教訓にしたら、思い出に繋がる品々に埋もれて身動きできなくなってしまい、断捨離を余儀なくされかねない。
何はともあれ、幼い女の子の視点で綴られた内容をあれこれ詮索、掘り下げてみたところで何になる。
確かなことはこの時、恵子は親元から旅立ったのである。十八歳になる二か月前のことだった。
<親族>